8月1日 理事のお天気だより(波田健一)

今年は戦後80年です。
私が生まれ育ち、現在住んでいる広島も、人類史上初の原子爆弾が投下されてから
80回目の夏を迎えます。

先日、原爆が落とされた1945年(昭和20)8月6日と同様に厳しい暑さとなるなか、
広島市中心部にある原爆ドームと平和記念公園を訪れました。
近くを通りがかる際には必ず立ち寄ることにしています。 



平和を祈念する象徴の一つ、原爆ドーム
原爆を投下したB29爆撃機「エノラ・ゲイ号」が投下の目標とした
相生橋(あいおいばし)から撮影

原爆ドームの左奥には、以前ご紹介したサンフレッチェ広島のホーム、
エディオンピースウイング広島が見えます。
広島の新しい平和の発信基地。今年の8月6日には天皇杯の試合が開催されます。
スポーツを楽しめる平和に感謝…

原爆ドームや平和公園の傍らを流れる元安川(もとやすがわ)。
80年前のあの日、元安川をはじめ、広島市の中心部を流れる川には、
燃え盛る炎で焼かれた人たちが水を求めて殺到し、多くの人がそこで息絶えました…
広島では当時、「75年は草木も生えない」と言われました。
(実際私もその昔、イギリスで「広島から来た」と言うと、
「広島は草木が生えず、誰も住めないんじなかったのか?」と言われたことがあります)

そんな広島も目覚ましい復興を遂げ、町のなかには緑があふれています。
平和公園も同様です。
そのたくさんの木々であふれる平和公園で、
私が必ず訪れる場所がひとつ…それは公園の片隅にある「被爆アオギリ」です。
被爆アオギリは、爆心地から1.3キロ離れた広島逓信局で、
まともに原爆の熱線と爆風を浴びました。
そのうちの2本が平和公園でいまだに命の力強さと尊さを訴えるように、
毎年緑の葉を茂らせています。
原爆で樹木自体も傷つきましたが、被爆した翌年には芽吹き、
傷ついた部分をかばうように木は成長しています。


被爆アオギリ(左の2本) 右の1本は被爆アオギリ2世

原爆でえぐられた幹をかばうように周りがそれを包んでいます…

かつて被爆アオギリと同じ場所で原爆に遭った被爆者・沼田鈴子さんという方が、
この木のたもとで、被爆体験の証言活動をしていらっしゃいました。
沼田さんも原爆で片足を失ったのですが、
傷つきながらも毎年春になると芽吹くアオギリに生きる勇気をもらい、
後に平和公園や世界各国で被爆体験を語ることに繋がりました。
(私も証言活動の取材に携わり、
    ドキュメンタリー番組を制作するなど大変お世話になりました)
被爆アオギリの種や苗木は、日本中はもとより世界中に配られ、
「被爆アオギリ2世」として平和と命の尊さを語り継いでいます。
沼田さんも証言活動を「平和の種まき」と言っていらっしゃったなあ…
そんなことを思いながら、毎回被爆アオギリの前で頭を垂れています。

被爆アオギリ2世

この日最後に訪れたのは慰霊碑。
慰霊碑のなかにはこれまでに原爆で亡くなった人たちの名前が記された名簿が収められています。この名簿には私の父親や伯母の名前も記されています
(私は“被爆2世”になります)
父親は5歳の時に爆心地から4キロの自宅で被災しました。
爆心地との間に標高100m足らずの比治山(ひじやま)で
爆風や火災など大きな影響はなかったのですが、爆発の衝撃で家の窓は全部割れたと聞きました。
一方、伯母は学徒動員でその比治山の爆心地側にいました。
一緒に作業をした仲間は全員犠牲になり、伯母自身も背中に大火傷を負ったと聞いています。
でもその詳しい話は、終生語ってくれませんでした(それぐらい、重い出来事だったのでしょう)

その慰霊碑には「安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませぬから」と刻まれています…

私たちは「天気予報」に常々関わっています。
太平洋戦争が開戦したあと終戦直後にかけて、
天気予報は軍の機密として一般市民に伝えられることはありませんでした。
戦時中も、大地震(昭和東南海地震や鳥取地震、三河地震など)や大雨災害(周防灘台風など)で多くの罪なき人たちが、戦争と関係なく犠牲となりました。
また、情報統制もあり、被害の実相が伏せられ、
被害者が必要な支援を受けることすらできなかったのです。
2度とそんなことがあってはいけません!

いま、日本はもちろん、世界中が混沌のなかにあると私は感じています。
醜い戦争や紛争はもちろん、私たちの身近でも、誹謗中傷、悪口雑言、
分裂や差別、デマが渦巻いています。
そんな状況のなかで、大切なのは「正しい情報」ではないでしょうか。
我々ができることは、きちんと日々のデータに向き合い、
正しい予測と情報をユーザーに伝える努力をする…
天気予報を無事に伝えることができるのは「平和である証拠」であり、
そのことが戦時中に自然災害に苦しんだ人たちに
報いることに繋がるのではないかと思っています。
終戦から80年…
過去の「過ち」が原因による大きな犠牲のもとに、
いまの平和と繁栄、そして私たちが
「天気予報」を伝えることができる幸せと使命があることを忘れてはいけません。

最後にもう一言だけ…先にご紹介した被爆者・沼田鈴子さんの言葉で
印象に残っていることがあります。
「暴力は暴力しか生まない。戦争は戦争しか生まない…」

なかなか先が見通せない状況ではありますが、
お互いにいがみあうのではなく、いたわりあい、励ましあい、
助けあいながら過ごしていきたいものです。